福沢諭吉と勝海舟

内田樹福沢諭吉の『福翁自伝』を推薦してるので、ひさしぶりにまた読んだ。
面白い。

咸臨丸のときの勝海舟の様子をごくあっさりと描写している。
「至極船に弱い人で、航海中は病人同様、自分の部屋の外に出ることは出来なかった」


ずいぶん冷淡な描写だと思い、これは勝に好意をもっていないのだろうと直感。
書棚にあった『氷川清話』(勝海舟のインタビュー集)を見ると、
勝は「ちやうどその頃、おれは熱病を煩つて居たけれども、畳の上で犬死するよりは、同じなら軍艦の中で死ぬるがましだと思つたから(中略)咸臨丸へ乗りこんだヨ」とある。


さらに書棚にあった『海舟座談』という岩波文庫を見ると、咸臨丸での勝の様子を伝える木村芥舟とその夫人へのインタビューがあった。
それによると勝は自分の身分に不満だったのか始終不機嫌で八つ当たりをしていたとある。
「太平洋の真ん中で、己はこらから帰るから、バッテーラ[ボート]を卸してくれなどと、水夫に命じた位です」というから相当な癇癪もちだったようだ。


同書には福沢を評した箇所もあり、福沢の「痩我慢の説」(勝と榎本武揚を批判した論文)に対し、「批評は人の自由、行蔵は我に存す」と返したとある。


やっぱり福沢は勝に対して一言言いたかったのだな、
じゃあ今度はその「痩我慢の説」を読んでみよう、とググってみるとなんとまた内田樹のブログに戻ってきた。
http://blog.tatsuru.com/2009/02/23_1102.php


この論文、講談社学術文庫から『明治十年 丁丑公論・瘠我慢の説 』というタイトルで出ている。